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40代アーティストが考える令和のゲーム開発者の生き方
第一回 ゲーム業界の現状を振り返る

40代アーティストが考える令和のゲーム開発者の生き方

ゲーム業界はようやく開発現場で20代から50代のスタッフが一緒に働く時代に突入した。
つまり我々が定年までの働き方を想像しやすい状況になってきたということだ。

黎明期と比べると、ゲームのプラットフォームや収益モデルも多様になり、ハードウェアスペック向上に伴い技術も進化して随分と様変わりしたが、それだけではなく各企業の「ホワイト化」の動きに加え、幅広い年齢層が働くようになることで現場の雰囲気も大きく変わった。

本稿では、そんな現状を踏まえながらも「今後どう働いていけば良いのか」について三回に分けて筆者視点で書き綴ってみた。構成は以下のようになる。

  • 第一回 ゲーム業界の現状を振り返る
  • 第二回 キャリアに関わる要素
  • 第三回 アーティストとしての汎用スキル

会社によっても、また会社内のチームによっても環境は大きく異なるため、あくまで著者の経験・視点(人生の大半がコンソールゲームの開発経験)で語る。決して何かうまい結論を提示するようなものではないが、読まれた方が何か考えたり発信するきっかけになれば幸いだ。
筆者も様々なご意見を伺いたい。

みなさんは何を目指して働いているのか?

「キャリアプラン」「キャリアパス」という言葉をよく目にする。
この「キャリア」というものは、単に経歴や役職を指すものではなく、働く上での「生き方」を表すものだと筆者は認識している。そして人生の中で本人が目指している目標を達成していくことこそが大事で、そのための選択肢は色々とあるのではないか。

昨今、少なくともコンソールゲーム開発の現場では仕事の内容・働き方ともに幅が広がってきている。
例えばアーティスト職であれば、キャラクター・背景・メニュー・エフェクトといった大きな分業は昔からあるが、昨今はシェーダー・プロシージャルなアセットの作成・リギング・ライティングといった職能に特化した人材が求められたり、各種DCCツールを検証してワークフローを策定したり、スクリプト等を使ってデータパイプラインを構築することに特化している人も活躍できるようになってきている。
パブリッシャーだけでなくディベロッパー内でもアウトソース化が進んで管理体制を構築している現場もある。技術要件に対するコンサルタント業を営む会社・人も増えてきたように感じる。

つまり「より多様な表現の実現」と「開発の効率化」が求められていると言えるかと思う。

もちろん、現場の規模やプラットフォームによって事情は変わる。
1人で複数のスキルをカバーして広く担当していかないといけない場合もあれば、何かに特化することを求められる場合もあるだろう。しかし今は「どのスキルを磨いて・どこで働くか」を自らが選んでいきやすい時代になった。現場の高齢化・非正規雇用も職場の移りやすさを助けている良い面がある。
また、フリーランス(主婦/主夫含む)の人が活躍する現場も増えている印象だ。

それから、我々開発者は日頃から何かしらの技術を磨きたいと考えているだろうし、加えて「ビッグタイトルに関わりたい」「オリジナルのタイトルで成功したい」「著名なクリエイターと働いて刺激を得たい」といった様々な思いがあったりもするだろう。

しかし‥このような自問は無いだろうか?

  • 何のスキルをどこまで磨くのか?その先に何があるのか?
  • ビッグタイトルやオリジナルタイトルの成功を経験した後はどうしていくのか?

20代の人は30歳が近づくと焦りを感じる人も多いかと想像するが、今のゲーム業界は40歳を超えてもまだ20年以上は現場で働く可能性があり、まだまだ先は長い。
そのため、ロングスパンでの目標を据えて充実した人生を歩んでいきたいところだ。例えば40歳になっても情熱が持続するような分野をそれまでに見つけている人は強い。

余談1:ゲーム業界の役職について

ゲーム会社によっては開発現場でも主任・課長・部長みたいな「役職」が存在する場合があるが、大半の開発スタッフが現実的に目指せる役職は「リーダー」しか無い実情がある。つまりゲーム業界における「キャリアプラン」は単に肩書を目指す分かりやすいものではない。

余談2:職場の移籍について

単身一つで職場を変えるには不安も伴うだろう。そんな場合には人材派遣を利用することもできる。短期で色々な職場を覗いてみたい場合に派遣形態はうってつけで、肌に合わない職場だった際に期間の区切りで割り切って離れられるのも大きなメリットだし、現場で活躍できれば正規雇用に切り替わるケースもある。

昔と今の開発現場の違い

さて、簡素な年表を用意したので見てみて欲しい。

年表
  • 50代 ファミコン黎明期の開発を経験した人がいる世代
  • 40代 スーパーファミコン・PlayStation黎明期の開発を経験した人がいる世代
  • 30代 ゲームキューブ・PlayStation2黎明期の開発を経験した人がいる世代
  • 20代 スマホゲーム黎明期の開発を経験した人がいる世代

FC時代の開発経験を持つ人は筆者の周りには少ないが(組織を引っ張る立場になられていたりするが)、SFCやPSの開発を経験して今も開発現場で活躍している人は多い。コンソールゲームは開発期間が長い場合も多く(ソーシャルゲームも成功して長く運営に携われば同じような思いがあるかも知れないが)、長いスパンの中で情熱を保持しながらチャレンジを重ねていく必要がある一方で、40を過ぎた身としては「今からどれだけの本数のタイトルをリリースできるだろう」と意識せざるを得なくなってきている。

ちなみにスマホアプリが普及してきたのはここ10年の話だが、今20代の人も20年後には「モバイルゲーム黎明期を経験した人」と言われる立場になる。

2000年に入るまでのゲーム業界

筆者は1990年代後半にゲーム業界入りしたが、その頃には下記のような印象があった。

就職
  • ゲーム業界は就職先として珍しかった(学校に話を聞けるOBがいない)
  • 親の理解を得にくく、好奇心や情熱で飛び込む業界だった

とは言え、各社に資料請求すれば郵送で綺麗なパンフレットが届き、また大手では会社説明会も実施されていたため、企業として「ちゃんとしている」印象は受けた。当時は家庭にインターネットも無かったが、情報源として「ゲーム業界就職読本」には大変お世話になった(平林久和さんに感謝)。

ビジネス
  • 店頭でのパッケージ販売が主流
  • 大きな成功体験ができた人が多い
  • 中古市場・攻略本市場

多額の報奨金や社員旅行など「バブリーな話」が聞けるのは筆者より上の世代の人達からだ。

開発
  • 開発規模は小さく、開発期間も今と比べると非常に短い
  • 会社に泊まることは日常的にあった
  • 上司も含めみな若いので無茶が効いた
働く人
  • 現場の平均年齢が若く20代でリードも珍しくなかった

小さなプロジェクトも多かったので筆者自身20代前半でリードを経験することができたが、珍しいことでは無かった。

働き方
  • 雇用形態に多様性は無い(フリーランスの人はいたが非常に珍しかった印象)
  • ゲーム業界自体も、開発者としても将来が見えない(プログラマ35歳定年説など)
  • 3D過渡期だったが職能も細分化されていない

2000年以降のゲーム業界

一方でゲーム業界に入ってしばらく経って変わっていったのは下記のあたりだ。

就職
  • ゲーム学科のある専門学校が増えていき、就職先として一般的に認知されてきた

今では大学にもゲーム学科が設立されてきている。
昨今の若い子の傾向として情熱が薄く「給料を得るために働く」スタンスの子が増えているという話を耳にすることが増えた。筆者の環境ではその印象はあまり無いが、開発者人口が増えた中で、一定数の割合でそういう傾向があったとしても、それは「一般的な職業として認知された」ということだと言えるのではないか。

ビジネス
  • コンソールゲーム開発の大規模化・長期化
  • 日本はモバイルゲームがゲーム市場を大きく占める

PS3の頃からコンソールの大型タイトルの開発コスト増大に伴い「世界で売る」「マルチプラットフォーム対応(縦マルチ含む)」「IPに育ててシリーズ化する」ことが重要になった。
一方、モバイルゲームの売上で上位に並ぶタイトルは、億単位の額を毎月稼いでいる。だがそんな大ヒットが一握りであることを踏まえると、今は多くの開発者が大きな成功体験を得にくくなっているように感じる。

開発
  • 開発の大規模化・長期化・アウトソースする部分の拡大
  • 技術の進化が早い
  • 海外タイトルが洗練されていき、日本の開発が影響を受けるように
  • 市販のゲームエンジンの普及

開発人数の大規模化はリーダーを経験できる人が減ることも意味する。また長期化は人が疲弊してしまったり、最後まで走り切っても辞めるきっかけにもなりやすい印象だ。

一方、DCCツールやゲームエンジンの進歩により1人で作業を完結できることが増えた。例えばノードベースGUIのエディタでゲームのロジックやシェーダを作成するといったように。試行錯誤が行い易くなりプログラマとのコミュニケーションコスト削減が見込めるが、学習が追い付かないという実情もある。

ちなみに筆者がコンソールゲームで海外タイトルが洗練されてきたイメージを強く持ったのは2005年発売の初代ゴッド・オブ・ウォー(PS2)をプレイした時だった。また「GTA」や「TES」などの影響か、ここ10数年の国内タイトルではオープンワールドを実現するために多くの開発者が苦労した時代という印象もある。

働く人
  • 平均年齢が上がり開発現場で40代の人が活躍し、50代の人も見かけるようになった
  • 新卒者の採用よりも中途採用で即戦力を求める傾向がある
働き方
  • 人材派遣、出向、アウトソース(国内/海外)が非常に増えた
  • 企業のホワイト化が進み、深夜残業や休日出勤が制限されてきている
  • 家庭を持つ人も増えた

元々流動性が高い業界だが、人材派遣や外部協力会社からの出向スタッフも多い中で、社内の開発手法や技術を秘匿する意味は薄くなってきている(組織的にコストをかけて研究開発しているような技術は別の話)。そのため汎用的なノウハウは業界全体に積極的にシェアし、それらの知識やスキルを一般的に持ち合わせている状態でプロジェクトに加わってもらえる方が開発現場側にも有益なようには思う。

また、開発が高騰化している中でのホワイト化が人材派遣・出向・アウトソースの利用に拍車をかけている印象だ。まだまだ現場ではマンパワー以外での開発効率化は図れていないのかも知れない。

それから現場の高齢化に伴い、家庭内の様々な事情‥住む場所・子供の送り迎え・親の介護・身近な人の不幸や自身も含めたシリアスな病気‥といったプライベートの様々な要因が、働く上でも大きく影響を及ぼすことになってきている。

ゲーム業界の現状を振り返ってみて

第一回目で特に書いておきたかったのが最後の部分だ。

親の介護を含めた家庭内の問題やシリアスな病気と対峙しながら働く人、またはそういったことが原因で職場を離れていく人が今後増えていくだろうと想像している。老後も視野に入り出す。貯蓄に対しての不安、将来に対する悲観的な気持ちも増していく。

もちろん、そういった私情は表に出さない人も多いだろう。一見すると何の問題も無い職場に見えるかも知れない。しかし、誰しもがいつかはこうした悩みに直面する可能性がある。
そしてそれは悪いことばかりでは無い。

こういった要素に対峙するようになることで「何のために働いているのか」「この先どうしていくのか」を強く意識し、人生を真剣に考えるきっかけにもなるだろう。そうしていく中で、ゲーム業界全体の開発環境の改善にも繋がっていって欲しいと願う。

例えば筆者の場合、親の介護をしながら働くにはリモートワークしかないと考えており、しかしリモートワークを当たり前のように選択できるようになるのにまだ10年はかかると思っていた。

しかしそんな折、コロナウイルスが到来した。

世界規模で大変な状況下ではあるが、この1年でリモートワーク環境の整備が一気に進んだように思う。もちろん今でも出社形態だったり、事態が収束すればまた出社形態に完全に戻る会社もあるだろう。
しかし会社が本腰を入れればフルリモート体制が整い、多少効率が落ちたとしてもちゃんと開発ができることを多くの経営者・開発者が体験できたというのは大きい。
まだまだ全国どこからでも働けるような会社はほとんど無いだろう。だが、フリーランスの優秀な人に遠隔地からでもサポートに入ってもらうようなことも可能で、今後より柔軟な開発体制が実現していけそうだと夢が膨らむ。

さて、第一回目は以上になる。
次回は「開発者として生きていく上で考えることになる要素」について考えてみたい。

ポコ太郎

ライター:ポコ太郎

2D&3DCGアーティストとしてディベロッパーとパブリッシャーを数社経験、ゲーム業界歴は20年を超える40代中盤。
親の介護の話が浮上してきており、身体にガタも来始めている。
今後20年をどう働いていくか・どんな形で業界貢献ができるかを考え中。

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